人は、人との関係の中で安心し、そして不安にもなります。
誰かに受け止めてもらえたと感じるとき、私たちの心は少しずつ開いていきます。反対に、否定されたり、理解してもらえないと感じたりすると、心を閉ざし、自分を守ろうとします。
これは、障害のある人にとっても同じです。
だからこそ、障害のある人の意思が表現しやすい環境をつくり、自己決定に至るプロセスそのものを支援していくことが大切です。そして、その人らしい生活を自分の意思で継続していける社会の仕組みをつくっていかなければなりません。
コミュニケーションを支援し、意思決定を尊重するという営みは、支援者が一方的に「してあげる」ものではありません。
障害のある人と支援者が互いに影響し合い、響き合い、互いの存在を尊重する。
そこには、本来、対等な人間関係があります。
「人をわかる」ということ
「わからない」から「知る」までには、知識が必要です。
しかし、「知る」ことから「わかる」ことへ進むためには、知識だけでは足りません。
そこには、良質で良好な関係性が必要です。
そして、その関係の中で「安心できた」「受け止めてもらえた」という体験を重ねることが必要なのだと思います。
支援の始まりは、障害のある人が、支援者を「安心できる存在」として受け入れてくれるところから始まります。
そのためには、支援者自身の在り方が問われます。
目線を高くして相手を威圧するのではなく、その人が不安を感じることなく、そばにいられる存在になる。相手の表情や動き、声、身体の緊張などを感じ取りながら、自分の在り方を相手に合わせていく。
そして、その人に起こっている感覚や気持ちに、肯定的に反応していく。
まるで自分も同じ体験をしているかのように、その人の世界に寄り添っていく。
そこから、少しずつ安心が生まれます。
安心が積み重なると、信頼が生まれます。
最初は意識していた小さなサインも、やがて意識しなくても、その意味がわかるようになっていきます。
赤ちゃんの泣き声を聞いて、「おむつが濡れているのかな」「お腹がすいたのかな」と、その意味を少しずつ理解していく親子の関係にも似ています。
これは、一方通行ではありません。
互いに働きかけ、互いに応答する。
その「相互作用」の中で、子どもは人を知り、母親は母親になっていくのです。
人と人との関係も同じです。
心のキャッチボール
小さなサインを受け取り、こちらが応える。
その反応を相手が受け取り、また何かを返してくれる。
そんな「心のキャッチボール」が繰り返されているとき、私たちは人を「わかった」と感じるのではないでしょうか。
安定した関係が続いていくと、これまで難しかった言葉や課題も、少しずつ理解できるようになります。
「わかる」「わかった」という体験が増えていきます。
すると、主体的な行動や意欲も見えてきます。
複雑なことも理解しやすくなり、新しいことを受け入れる力も育っていきます。
これは単に「支援の技術」が身についたということではありません。
支援者との関係を通して、
「人は、自分を受け止めてくれる存在なのだ」
ということを学んでいるのだと思います。
そして、それは「他者を肯定的に受け入れていく」という、人とかかわるための基本を学ぶことにもつながっていきます。
安心が、人の力を引き出す
知的障害のある人の中には、孤独の中で、人間存在そのものへの不安と闘っている人も少なくありません。
不安や恐怖に包まれているとき、人はなかなか知性を十分に働かせることができません。
心が何かに囚われているときには、考えることも、学ぶことも、楽しむことも難しくなります。
けれども、安心に包まれ、心が開かれているとき、人は他者を受け入れることができます。
学ぶ力が育ち、喜びを感じることもできます。
良き支援者との関係の中で、
「人は信頼してもいい存在なのだ」
ということを学んでいく。
その経験は、日常生活のさまざまな問題に向き合い、自分なりに解決していく力――「現実に対処する力」にもつながっていきます。
だからこそ、心を支えることは、生きる力を支えることなのです。
「心に添う」ということ
知的障害のある人たちは、「自己決定が難しい人」と思われがちです。
しかし、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
その人の思いを、これまで私たちは十分にくみ取ろうとしてきたでしょうか。
感情を表現しても大丈夫だと思える、緩やかな環境をつくってきたでしょうか。
さまざまな表現を見つけ、その表現を支え、育ててきたでしょうか。
「自分とは違う」と感じるその人の感覚を、その人の身体と心に寄り添いながら、ともに感じようとしてきたでしょうか。
意思決定支援は、こうした積み重ねの先にあるものです。
「何を決めるか」だけを支援するのではありません。
その人が「自分の意思を持っていい」と感じられる関係をつくること。
そこから、意思決定支援は始まるのではないでしょうか。
特に、自閉症の人や重度の障害のある人など、周囲から「わかりづらい」と感じられやすい人たちには、支援者の側により繊細な「心のやりとり」の力が求められます。
「わかりづらい」と感じる人ほど、実は孤独の中で、不安を抱え、じっと耐えている人なのかもしれません。
その人を理解できないのではなく、私たちの側に、まだ読み取れていないものがあるのかもしれません。
そう考えると、「わからない」という言葉は、支援者自身の在り方を問い返してきます。
支援者は試されているのかもしれません。
生半可な関わりではなく、本物の関係を求められているのです。
「大切にされている」という実感
本質的で的確な関係性が継続して保障されると、少しずつ変化が現れます。
喜怒哀楽が明確になってくる。
「これがしたい」「これは嫌だ」というニーズがクリアになってくる。
自分の要求を表現しやすくなる。
そして何より、
「自分は安心していい」
「自分は大切にされている」
という実感を持てるようになります。
これは、生きる力の根源です。
人生の中で、人が幸福を感じる大きな要素の一つは、良き人間関係があることだと言われます。
福祉の現場で、支援者の未熟さによって、利用する人を孤独や無気力の状態に追い込んではなりません。
「生きることをあきらめ、その環境に適応する」ことを、支援と呼んではならないのだと思います。
もし人が、「どうせ言ってもわかってもらえない」「何をしても変わらない」と学習してしまったのだとしたら、その学習に私たちが関わっていた可能性があります。
だからこそ、私たちには責任があります。
そして同時に、やり直す責任もあるのだと思います。
心の支援者として
私たちは、言葉によるコミュニケーションに慣れています。
そのため、つい「何と言ったのか」「何を言葉で伝えたのか」という情報に意識を向けてしまいます。
しかし、人は言葉だけで語っているわけではありません。
表情、目の動き、声の抑揚、身体の動き、姿勢、呼吸、ちょっとした間。
私たちは意識していなくても、そうした言葉にならない情報を受け取り、相手の状態を感じ取っています。
身体という表現は、ときに言葉以上に多くを語ります。
だからこそ、知的障害のある人に対する「通訳」という役割は、単に言葉を別の言葉に置き換えることではありません。
さまざまな表情や行動、身体のサインを受け取り、それらを「意味のあるコミュニケーション」としてつないでいく。
そして、支援者にもわかりやすい形で表現し、その反応を確かめながら、本人が本当に望んでいることを一緒に探していく。
その繰り返しこそが、意思決定支援なのではないでしょうか。
本人の「意思」は、最初から明確な言葉になっているとは限りません。
小さな表情かもしれない。
身体の動きかもしれない。
繰り返される行動かもしれない。
あるいは、私たちが「問題行動」と呼んできたものの中に、その人の大切な思いが隠れているかもしれません。
だから支援者には、「行動を変える力」だけではなく、
「その行動の奥にある心を感じ取る力」
が必要なのだと思います。
心を支えるとは、何かをしてあげることではありません。
その人の心の動きを感じ、その人の思いが表現されるのを待ち、ときには一緒に迷いながら、その人自身の人生を支えていくこと。
そして、その過程の中で、
「あなたの思いには意味がある」
「あなたの存在は大切だ」
「あなたの人生は、あなた自身のものだ」
と伝え続けること。
それが、支援の原点なのではないでしょうか。
人は、人との関係の中で生きています。
だからこそ、良い関係は人を支え、安心を生み、学ぶ力を育て、そして「自分らしく生きる力」を引き出します。
意思決定支援とは、決めることを支援するだけではありません。
その人が「自分はここにいていい」と感じられる関係をつくること。
その人の小さな声に耳を澄ませ、その人の心に添い、その人の人生をともに支えること。
「心を支える」という言葉の中には、そんな人と人との営みが込められているのだと思います。
<みずき福祉会理事長 阿部実樹雄_2026年度内定式より>


